伝えたい道

信仰への道のり

天国へ行くための「新しく生まれる」とは? 1

皆さんもきっとヨハネによる福音書の第3章をきっと読まれたと思います。
(もしまだだと、ぜひ読んでください。)
第3章にはニコデモという指導者の話が出てきます。
このパリサイ人の指導者であるニコデモはすごい人ですよ。指導者なのですごい!だけではなく、あの時、指導者階層はイエス様を目の敵にしていたにもかまわず、この人はイエス様を神様が送った教師と認めたのですよ。
このニコデモは夜、イエス様を尋ねました。
そして、イエス様に話しかけました。


ヨハ 3:2
この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。


はい、このような告白をしました。この文章をみると、本当にただの告白ですね。イエス様が神様が送ってくださった人であることを。
でも、イエス様が本当に文脈にも理解できないことをおっしゃるんですよ。一緒に見てみましょうね。


ヨハ 3:3
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。


どうですか?ニコデモは何も聞かなかったのに、イエス様は髪の国を見るため(つまり行くには)、「新しく生まれる」ということを教えました。
これを聞いたニコデモは慌てず、気になったことをイエス様に聞きます。


ヨハ 3:4
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。


「新しく生まれる」ってどうしたらいいですか?母のお腹に入ってもう一度生まれなければならないですかって、おかしなことを聞きますよね。
これを聞いたイエス様はもっと具体的に教えます。


ヨハ 3:5
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
ヨハ 3:6
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
ヨハ 3:7
あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
ヨハ 3:8
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。


神様の国に入るためには「水と霊とからうまれなければ」ならないと教えました。じゃ、水と霊とからうまれるためにはどうしたらいいか、思ったことはありますか?

12使徒の信仰について 5

書記官とバリサイ人たちは時代にあわない信仰をしていたからです。彼らは律法を頑なに信じ、守っているのはとても素晴らしいことですが、それに縛られて、その先にあることを認めようとしませんでした。


イエス様は二千年前、イスラエルの地方へ行って旧約の預言の言葉をかなえるためでした。でも、イエス様の預言を実現した言葉や成し遂げた事を聞いても、見ても認めようとしませんでした。


ルカ 12:54 イエスはまた群衆に対しても言われた、「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。果してそのとおりになる。
ルカ 12:55 それから南風が吹くと、暑くなるだろう、と言う。果してそのとおりになる。
ルカ 12:56 偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。
ルカ 12:57 また、あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。


ルカによる福音書の第12章に書かれたように、天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか、とイエス様が言われました。つまり、書記官とバリサイ人たちは時代を見分けることができませんでした。


どんな時代でしょうか?


イエス様が二千年前にこの地に現れたからには、旧約の預言をかなえる時代にあるにもかかわらず、書記官とバリサイ人は預言の時代にとどまったままです。もちろん、体の話ではなく、心の話です。彼らの心は時代遅れといってもいいでしょう。


一言でまとめると、イエス様が選んだ12名の使徒たちは、いつも聖書にかかれた御言葉を信じ、その中にある預言についていつも思いながら、救世主がくるのを待つ信仰をしました。


なので、イエス様が現れ、預言を実現した時、この人が救世主であることをわかりました。


なら、イエス様が天に行かれてから約二千年も過ぎた今時はどんな信仰をしたらいいでしょうか?

12使徒の信仰について 4

まず、ヨハネによる福音書を見てみましょう。


ヨハ 1:29 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。


これは 洗礼者ヨハネが言った言葉です。イエス様が世の罪を取り除く神様の小羊、つまり救世主ということがわかったいたのです。


ヨハ 1:35 その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、
ヨハ 1:36 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。
ヨハ 1:37 そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
ヨハ 1:38 イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。
ヨハ 1:39 イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。
ヨハ 1:40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。


洗礼者ヨハネの二人の弟子はイエス様についていって、イエス様が止まっている所をみた。その中にはシモン・ペテロの兄弟アンデレがありました。
アンデレはすぐシモン・ペテロに出会い彼をイエス様のところについて行きました。シモン・ペテロはこうやってイエス様をついて行くことにしました。
その後、イエス様はピリポを弟子にしました。
ピリポはナタナエルに出会ってこう言いました。


ヨハ 1:45 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。


ピリポの話によると彼はイエス様が救世主だということを知っていたのです。とても詳しく説明したました。モーセ律法の中にしるしてあり、預言者たちが記していた人、とも言いました。
彼がこんなにも詳しくわかるのはどうでしょうか?


聖書をよく知っていたから?


でも、聖書や預言をもっと詳しく知っている人たちはあの時の書記官やバリサイ人もいます。じゃ、なぜでしょう?