伝えたい道

信仰への道のり

聖書にある二種類の木について 3

二番目は罪びとの道に立たない
罪びとはどんな人でしょう?罪を犯した人。どんな罪を犯したのでしょう?
法律に違反することでしょうか?
法律を犯してはいけないのは誰もが知っています。どんな事をしたら違法になるかは聖書より六法全書を読んだほうがもっと詳しく知るでしょう。じゃ、神様はこのことをおっしゃっているのでしょうか?
答えはやはり違います。
社会に属する一人の人間として違法行為をしてはいけないことは当たり前のことです。神様が望んでいるのは罪の根本になるサタンのことを指しています。
アダムが食べてはいけない果実を食べたので、原罪が人々の心の中に入ってしまいました。神様は人々の心の罪を消そうと努力しているに対して、サタンもその人々の心の中にある罪がもっともっと重くなるように働きかけています。
心の中にある罪を消すためには神様がくれた聖書が必要です。聖書に記された神様の御言葉で心という住処を神様が住めるように作りなおすのです。そこで、サタンはいろいろと邪魔をするでしょう。
その邪魔を乗り越えて神様の御言葉を守るのが罪びとの道に立たないことです。


三番目はあざける物の座に坐らない
人を見下す態度をあざけると言います。聖書の御言葉は奥深くてどんなに年月が経ってもその真意をくみ取るには大変な努力が必要です。御言葉の前では謙遜しなければなりません。自分自身を過剰に信じると二千年前、イエスを見下したパリサイ人やサドカイ人のようになります。イエスを見た目だけで判断し、おっしゃたすべての神様の御言葉を否定した結果、天国へいけなくなりました。
なので、御言葉の前ではあざける態度をとってはいけません。