伝えたい道

信仰への道のり

聖書にある二種類の木について 4

四番目は主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきてを思う。
昼も夜も主のおきてを思うことができるでしょうか?
一日を過ごすうちにいろんな考えが頭の中をよぎっては消えていきます。ずっと主のおきてを思うなんてことは至難の業です。
それでも一日中、主のおきてを思えるように修行しなければいけないでしょうか?
神様がここで私たちに伝えようとしたことはなんでしょう?
例えば、好きなことになると人は夢中になりますよね。夢中になりことに心が惹かれ頭の中はそのことだけで埋め尽くされてしまいます。このように、神様の御言葉を思うようになることを神様は望んでいます。
このようになった人は流れのほとりに植えられた木にたとえられています。
聖書では人を木にたとえています。
なら、流れは何にたとえているんでしょう?


申 32:2 わたしの教は雨のように降りそそぎ、/わたしの言葉は露のようにしたたるであろう。若草の上に降る小雨のように、/青草の上にくだる夕立のように。


申命記に記されているように、わたし(神様)は自分の教えを雨に、言葉を露にたとえています。つまり御言葉を水にたとえています。


つまり、流れも水で御言葉を意味しています。
流れのほとりに植えられた木はいつも水を飲んでいるように、人もいつもどこでも神様の御言葉を思い考えるようにしてほしい願いが込められています。

聖書にある二種類の木について 3

二番目は罪びとの道に立たない
罪びとはどんな人でしょう?罪を犯した人。どんな罪を犯したのでしょう?
法律に違反することでしょうか?
法律を犯してはいけないのは誰もが知っています。どんな事をしたら違法になるかは聖書より六法全書を読んだほうがもっと詳しく知るでしょう。じゃ、神様はこのことをおっしゃっているのでしょうか?
答えはやはり違います。
社会に属する一人の人間として違法行為をしてはいけないことは当たり前のことです。神様が望んでいるのは罪の根本になるサタンのことを指しています。
アダムが食べてはいけない果実を食べたので、原罪が人々の心の中に入ってしまいました。神様は人々の心の罪を消そうと努力しているに対して、サタンもその人々の心の中にある罪がもっともっと重くなるように働きかけています。
心の中にある罪を消すためには神様がくれた聖書が必要です。聖書に記された神様の御言葉で心という住処を神様が住めるように作りなおすのです。そこで、サタンはいろいろと邪魔をするでしょう。
その邪魔を乗り越えて神様の御言葉を守るのが罪びとの道に立たないことです。


三番目はあざける物の座に坐らない
人を見下す態度をあざけると言います。聖書の御言葉は奥深くてどんなに年月が経ってもその真意をくみ取るには大変な努力が必要です。御言葉の前では謙遜しなければなりません。自分自身を過剰に信じると二千年前、イエスを見下したパリサイ人やサドカイ人のようになります。イエスを見た目だけで判断し、おっしゃたすべての神様の御言葉を否定した結果、天国へいけなくなりました。
なので、御言葉の前ではあざける態度をとってはいけません。

聖書にある二種類の木について 2

聖書では人を木にたとえていると前に書いてあります。
福をもらう木も、災いに陥る木についても書いてあります。これからは二つの状況に置かれる木を通じて、私たちがやるべきことを紹介したいと思います。


詩 1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
詩 1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
詩 1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。


詩編に記されているように、四つの福がもらえる方法について教えています。
1 悪しき者の図り事に歩まない
2 罪びとの道に立たない
3 あざける物の座に坐らない
4 主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきてを思う
この四つを守った人は流れ(川)のほとりに植えられた木のように、なすところは皆栄える、と教えました。つまり、人がこの四つを守ると栄えると言っています。
なら、この四つを守るためにはどうすればいいでしょか?もちろん、記されている御言葉どおりにしなければなりません。
一見、簡単そうに見えますけど、やり遂げるためには強い意志が必要です。そのためには御言葉が伝えようとする意味をちゃんと分かる必要があります。


まず、悪しき者の図り事に歩まない。
悪しき者はどんな者を指しているのでしょう?悪いことをする人の事でしょうか?倫理道徳的に、悪いことをしてはいけません。でも、倫理道徳については聖書じゃなくてもいろんな有名な本で紹介しています。なら、神様が私たちに教えようとしている悪しき者はどんな人でしょう?
それは神様の御心と反することをすることです。
神様の御心と反することをする存在は悪霊(サタン)です。
悪しき者の図り事とは悪霊(サタン)の図り事です。なら、悪霊の図り事はどんな事でしょう?


神様はサタンが支配しているこの世界を本来の姿に戻すため、御言葉を聖書に記して、私たちにくれました。聖書に記された御言葉を心に刻んで行えば神様が最初に作った人間の姿に戻るのです。これはサタンにとって許せないことです。
なので、神様の御言葉の真意をわかろうとするといろいろな図り事で邪魔をしてきます。


サタンの図り事だと見極めてついて行かなければ最初の条件を守ることになります。