伝えたい道

信仰への道のり

聖書にある二種類の木について 1

聖書を読んで、神様を信じる信者の望みは楽園、天国といっていいでしょう。
じゃ、聖書を読んだら、神様をひたすら信じたら私たちの楽園、天国に行けるでしょうか?


マタ 7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。


マタイによる福音書に書かれたように、天にいますわが父(神様)の御旨を行う者だけが入ると言っています。なら、神様の御旨はなんでしょう?


神様の御旨とおりに行う人は福をもらい、そうでない人は災いに陥るでしょう。


聖書には神様の御旨が記されていると同時に、福をもらう人と、災いに陥る人について紹介してくれています。


今日はこの二種類の人について話をしてみたいと思います。


二種類の人について話すのになぜ題名を「二種類の木」としたかというと、聖書では人を木にたとえたのです。


ヨハ 15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
エレ 5:14 それゆえ万軍の神、主はこう言われる、「彼らがこの言葉を語ったので、見よ、わたしはあなたの口にある/わたしの言葉を火とし、この民をたきぎとする。火は彼らを焼き尽す」。


ヨハネによる福音書とエレミヤ書に記されたよに、聖書では人を木にたとえているのです。


話を本題に戻します。


聖書には福をもらう人と、災いに陥る人、この二種類の人がいます。信者ならみんな神様が下さる福をもらいたがっています。
これから、どうすれば福をもらい、災いに陥らないかを話したいと思います。

神様が住みたいと思う場所 8

ヨハ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
ヨハ 1:2 この言は初めに神と共にあった。
ヨハ 1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
ヨハ 1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。


ヨハネによる福音書の第一章に記されたように、神様霊的存在であって私たちの心の中に入れるには行けません。唯一の神様がいっだい誰の心の中に入ればいいのでしょう?信仰が一番深い人の心に?


それは違うこととわかっていると思います。なら、神様はどうやった私たちの心の中にいると言えるでしょう?


この問題は上記の聖句に書かれたように、神様は言でもあるのです。つまり、私たちが心の中に神様がいられるようにするためには神様の言を心の中に刻むことです。


神様の言を心の中に刻むだけでいいのではありません。心も思想も神様が最初に私たちを作った頃の姿戻らなければなりません


つまり、聖書に書かれた神様の言は私たちを神様の民本来の姿に戻すための本です。


創 1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。


神様の形に人を創造しました。私たちは今のサタンに汚された心から神様の望む姿に戻るために信仰をし、神様もそれを望んでいます。

神様が住みたいと思う場所 7

4 人々の心


神様が私たちの心の中にあるってことをどうやって証明できるでしょうか?
信仰は神様を心からその存在を信じ、敬う心のことであって盲目に信じることではないと思います。
神様も私たちが自分のことをちゃんと知った上で信じてほしいと思っているんです。


ホセ 6:6 わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。


エレ 9:24 誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる」。


ホセアも、エレミヤも神様を知ることの大切さを私たちに教えています。


ヨハ 17:3 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。


ヨハネも永遠の命をもらうためには神様とイエスを知ることであると教えています。
このように、神様を知ることはとても大事です。


話を戻して。
神様が住みたいと思っている場所は、今は私たちの心です。まずイエスがおっしゃとことばを一緒にみてみましょう。


ヨハ 2:19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
ヨハ 2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
ヨハ 2:21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。


イエスは自分の体を神殿にたとえたのです。つまり、イエスがこの世に来られてからは神様の神殿の場所は物質の建物から、見えない「心」という存在に変わったのです。


コリ1 3:16 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。


コリント人第一手紙の第三章に記されたこの言葉からまはっきりわかるように、神様の御霊私たちのうち(心)に宿っています。


なら、神様はどんなふうに私たちの心の中に宿っているのでしょう?